摘要
受身表現は日中両言語とも受身義を表す点で共通している。筆者の分析では、日中両言語の文の体系から見る受身表現における受身義、すなわち意味構造の定義「受け手+仕手の影響を受ける行為や感情など」は両言語に共通している。しかし、言語事実から見れば、日本語の受身文の数量は中国語の受身表現に比べるとはるかに多い。また、日本語の受身文が中国語の受身表現で訳されるとは限らず、その逆もまた然りである。中国は多民族国家であり、異なる言語を話す多くの民族から構成されている。そのため、中国語は相手に分かり易く主体の意思を伝えることに重点の置かれる主体中心の論理型言語である。日本は単一民族国家であり、原則として同一言語を話す単一民族から構成されている。そのため、日本語は文末表現の多様な人間関係に重点の置かれる客体中心の配慮型言語である。両者の違いは一つの現実に対して、一方は主体を中心とする主述文を好み、一方は客体を中心とする能動文や主体の意思の表れない受身文を好んで使う傾向にある。ここには日中両国民の国民性からくる視点の違いが現れている。
出版日期
2014年04月14日(中国期刊网平台首次上网日期,不代表论文的发表时间)