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要旨
本研究は、日本語における一人称主語の省略を社会言語学の視点から分析することを目的としている。特に性差に焦点を当て、名大会話コーパスのテキストを用いて一人称主語の省略頻度とその要因を明らかにする。研究の結果、女性は男性よりも高頻度で一人称主語を省略する傾向が見られ、これは脳の働きや自称詞の使用、情感表現などと密接に関連していると考えられる。
キーワード:日本語、一人称主語省略、社会言語学、名大会話コーパス
はじめに
日本語における一人称主語の省略は言語学の領域で非常に注目されている研究テーマである。多くの学者がその条件や文法的特徴を分析してきたが、社会言語学の視点からの研究は未だ不十分である。井出祥子(1988)[1]によると、社会言語学の課題が幅広く、多岐にわたっており、主に言語と文化社会、言語のヴァラエティー、言語政策などの研究を含んでいる。特に日本語は性差が顕著な言語であり、性差が言語使用に与える影響は日本語の社会言語学における重要なテーマの一つである[2]。
張婷婷(2010)[3]は、あるインタビュー番組を調査対象とし、男女ゲストおよび司会者の対話を文字化して統計分析を行った。調査結果によると、2週間の番組中、男性は一人称主語を164回使用し、女性は70回使用していた。しかし、この調査は単にコーパスの定量分析を行ったものであり、男女の一人称主語の使用状況を記録したに過ぎない。一人称主語の省略と性差との関係を十分に示すものではない。したがって、筆者はコーパス分析を通じて、両者の関係をさらに探求し、その背景にある原因を考察することを目指している。
研究方法
本研究では、名大会話コーパス[4]のテキストを用いて一人称主語省略現象を分析する。コーパスは日本語母語話者同士の雑談を文字化したもので、以下の二つのコーパスを対象とする。
コーパス1
収集年月日:2001年12月30日
場所:電車の中
参加者F001:女性22歳、山梨県北巨摩郡出身、愛知県名古屋市在住
参加者M033:男性23歳、山梨県韮崎市出身、同市在住
参加者の関係:恋人同士
コメント:F001は18歳まで山梨に居住、大学は東京。M033は大学4年間を除き山梨に居住。
コーパス2
収集年月日:2001年12月21日
場所:大学の録音室
参加者F122:女性20代前半、福井県福井市出身、名古屋市在住
参加者M006:男性20代前半、岡山県出身、名古屋市在住
参加者の関係:初対面同士
コメント:F122は18歳まで福井市に居住。M006は19歳まで岡山に居住。
データ分析と結果
本研究では、コーパスデータから一人称主語省略の頻度を性別ごとに分類し、分析する。ポクロフスカ オーリガ(2015)の基準「主語がなく直前の文脈にそれを指す手掛かりがない文が一人称省略だと想定される[5]」と具体的な文脈に基づき、一人称主語の省略を判断した。例えば、次の一人称主語省略文の例を挙げる。
--「今日(ぼくは)行かない。」
--「(わたしは)モノを捨てる。」
性別 | 一人称主語省略文の数 | 文の数 | 使用頻度(一人称主語省略文の数/文の数) |
女性 | 41 | 213 | 19.2% |
男性 | 22 | 282 | 7.8% |
表1:コーパス1における一人称主語省略の使用頻度
性別 | 一人称主語省略文の数 | 文の数 | 使用頻度(一人称主語省略文の数/文の数) |
女性 | 41 | 267 | 15.4% |
男性 | 24 | 202 | 11.9% |
表2:コーパス2における一人称主語省略の使用頻度
以上の結果から、女性は男性よりも高い頻度で一人称主語を省略することが示された。この現象は、親密な関係にある対話(コーパス1恋人同士の会話)で特に顕著であり、一人称主語省略と性差との間には一定の関係が存在することが示唆される。一人称主語省略の性差に関する考察として、以下の点が挙げられる:
1. 男性と女性の言語行動の違い
女性は対立を避け、相手との調和を重んじ、思いやりを大切にする傾向がある。一方で、男性は公の場で交渉を主導し、明確な主張や断定的な話し方をする傾向がある[6]。したがって、男性はしばしば自己をアピールしたいため、自称詞を多用するのに対し、女性は控えめな表現を好むため、一人称主語を省略することが多い。
2. 自称詞の多様性
1974-5の国研調査結果[7]によると、女性はほとんどが「私」という一人称代名詞を使用しているのに対し、男性は「僕」と「俺」の使用頻度がほぼ同じであることが示されていた。これは日常会話において、男性は多様な一人称代名詞を使用する傾向があるが、女性は一般的に「私」に限られるため、同じ状況で女性の方が主語を省略しやすい傾向がある。
3. 情感表現と内面表現の相違点
日本語という言語は通常思考主または発話主の心の状態の直接表現になり、一人称主語が暗示されるため、主語を明示しなくても話者の思考や感情を表すことができる
[8]。医学の研究によると、男性は脳の片側が活性化しているのに対し、女性は両方が活性化しているため、感情や内面を表現する際により繊細であることが多く、一人称主語を用いることなくも、自身の考えを明確に表現することができる。
おわりに
本研究では、現代日本語における一人称主語省略の性差を検討し、女性が男性よりも頻繁に一人称主語を省略することを明らかにした。この現象は情感表現、自称詞の使用などと関連していると考えられる。しかし、本研究は年齢差や地域差などの問題には言及しておらず、これらの要因については今後の研究課題としたい。さらなる研究を通じて、日本語における主語省略の全体像を明らかにしていきたいと考えている。
[1]井出祥子. 「社会言語学の理論と方法--日本と欧米のアプローチ」について. 日本言語学会 編. (通号 93) 1988.03,p.p97~103.
[2] 顾珂嘉,闫倩.社会语言学视角下日语语言中的性别差异[J].大众文艺,2022,(20):99-101.
[3] 张婷婷.现代日语口语中男女用语性别差异的实证研究——以访谈类节目为例[J].海外英语,2010,(04):199-201.
[4]『名大会話コーパス』は科学研究費基盤研究(B)(2)「日本語学習辞書編纂に向けた電子化コーパス利用によるコロケーション研究」の一環として作成され、129会話、合計約100時間の日本語母語話者同士の雑談を文字化したコーパスである。現在は国立国語研究所に移管され、文字化テキストなどを公開している。
[5] ポクロフスカ オーリガ. 日本語学習者は「語り手」をどう読み取るか : ウクライナ人中級学習者の一人称の省略復元プロセス. 一橋大学国際教育センター紀要. (6):2015,p.137-149.
[6] 八木橋 宏勇. 言語学は女性と男性をどう見てきたか : ダイバーシティ推進に切り込むコミュニケーション論. 杏林医学会雑誌. 2018.4 #特集 女性と多様性,p.29-35.
[7] 国立国語研究所(1981a,b)では東京と大阪で1974-5年に1000名規模(東京639名、大阪359名、年齢層15-69歳)の言語調査を行い、その中に「現代の男女のことばの差」の意識について数項目がある。
[8] 寺村秀夫.日本語のシンタクスと意味[M].くろしお出版.1982